映画 華氏911 http://
米国下院がブッシュ弾劾決議案を可決 http://
これについて匿名掲示板等に書くと、
「それは陰謀論」
という反論がされるようです。そこで陰謀論という言葉について調べてみました。
wikipediaによると、「陰謀論」はまだ広辞苑にのっていない新しい言葉なのだそうです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Conspiracy_theory
>The first recorded use of the phrase "conspiracy theory" dates from 1909.
>Originally it was a neutral term but during the political upheaval of the 1960s
>it acquired its current derogatory sense.[8] It entered the supplement to
>the Oxford English Dictionary as late as 1997.[9]
http://ja.wikipedia.org/wiki/陰謀論
「陰謀論」という言葉が一般に認知され、さかんに用いられるようになったのは比較的最近のことであり、いわゆる「新語」に分類される[2]。広辞 苑第五版には採用されていない。
時代劇などでもよく使われる言葉なので、江戸時代より昔からある言葉だと思っていましたが、そうではないようです(不思議なことに様々な陰謀が行われた戦国時代には存在しなかった言葉のようです)。
その具体的な定義を読んでいくと、曖昧な定義であるように見えます(その曖昧さが広辞苑に載らない理由の1つなのでしょうか?)。曖昧な部分を除外するとwikipediaの陰謀論項目には、要約するとこんなことが書いてありました。
「広く信じられているものは、より多く検証されているので正しい(つまり陰謀論は間違い)」
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では(天動説のような)矛盾がある話が広く信じられるのは、どんな場合なのでしょう。wikipediaの陰謀論の説明では心理学の用語がいくつか使われていました。陰謀論よりも古い心理現象を表す格言を引用するとその矛盾の説明ができると思います。
ユリウス・カエサル
People will see only what they want to see.
「人は自分の見たいものしか見ない」
もう1つの実感できる説明としては、逆の立場つまり陰謀を行う側になって考えてみると、より分かるのではないでしょうか。次の例え話を考えてみました。
あなたは養鶏所のオーナーです。卵を沢山産ませるために、夜もニワトリにライトを当てて寝かせません。そのぐらい当たり前です。適当なところで〆て鶏肉にします。他にも稼ぐためにあらゆることをします。
もちろん、そんな酷いことは自分の親戚にはしません。しかし家畜なら当たり前のことです。それが仕事です。困ったニワトリは〆るのも当たりまえです。
では次に養鶏場のニワトリになってみましょう。毎日顔を合わせる(TVなどで顔をみる)飼い主は、自分と遠い存在には感じません。まさか、つまら ない理由で殺されて肉になるなんて思いません。それがニワトリの間でも広く信じられています。「まさか同じ生き物同士(日本人同士、人間同士)、そこまで 非道なことはするはずがない」と思うのです。
飼い主が家畜の羽を切ったり、品種改良(のためにニワトリを殺す)したり、利益のためにあらゆることをするのは当たり前の行為です。家畜からみれ ば信じれないかもしれませんが、逆の立場になって考えればわかります。「まさかそんなことするはずない」と信じたくない内容は広く信じられません。 wikipediaの「広く信じられている説は様々な検証を経たもの」という説明は、この「そんなことは信じたくない」というバイアスがかかることを無視 しています(地動説も同じですよね).
実際これらの陰謀が行われた事件を思い出すと、「陰謀論(笑)」という使い方には大きな疑問がおきます
TBS不二家捏造報道問題
雪印集団食中毒事件
野村佐知代、サッチー騒動
騒音おばさん
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